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Shinto wa Saiten no Kozoku Kaidai (Synopsis: Shinto, A Vestige of Sky-Worship)(神道は祭天の古俗解題)

by Osatake Takeshi (尾 佐 竹   猛)



   神道は祭天の古俗解題

                                                                                                         尾 佐 竹   猛    

「神道は祭天の古俗」は史論としても卓抜な意見であり、学界を聳動した大論文であるが、それよりも、この論文の爲めに筆者たる久米邦武氏が大学教授の地位を追はれたることに於て有名であり、思想壓迫史としても看過すべからざる一大事実である。
此論文は始め『史学会雑誌』に掲載せられたのを、田口卯吉がその主宰せる雑誌『史海』〔第八号)に轉載し「古人未発の意見実に多し」とて敬服した迄は良かったが、その終りに

余は此篇を読み私に我邦現今の或る神道熱信家は決して緘黙すべ
き場合であらざるを思ふ、若し彼等にして尚ほ緘黙せば、余は彼
等は全く閉口したるものと見做さゞるべからす。

と附記したのが、一部の神道者流の怒りを来たし世論は沸騰したのである。
当時政治家として経済学者として、将た歴史家として著聞せる田口鼎軒の筆であるから、忽ち世人の注目する處となり、或者の如きはこれ久米氏の論文に鼎軒が筆を加へて、故らに或種の目的の爲めに宣伝せるものゝ如く誣ふるものさへあった。
この頃は欧米文化の吸収に汲々たる時勢で、また憲法も布かれ議会も開かれて居るとはいひ、学問の独立は末だ十分ならず、神代史の科学的研究が恰も皇室に対する冒涜なるかの如く誤解せるものさへ相当にあつた位であり、また耶蘇教は国体に反すると論議する攘夷論者もあり、民権論は不敬罪なるかの如く曲解する政論家があるといふやうな、殆んど今日より想像も出来ない時勢であったのだから、所謂神道者流は厄鬼となって怒り出したのである。
今日では神道は宗教なりや否やは論議せられ、寧ろ神道は宗教にあらずといふ妙な表面論が行はれて居るが、この頃は神道は、宗教、道徳、歴史、国学、等あらゆるゴツチヤな混合物で、しかも何かしら優越な地位を占めて居るかの如く考へ、しかも学術的研究には疎であり、理論的に大系立てゝ説明することさへ出来なかつた神道者流が多かつた處へ、この堂々たる大論文に出会はしたのだから、正面からこれを打ち破る丈けの力は無く、思想壓迫史に常に繰返さるる型の如く、理論には敵せないが権力や暴力で壓へようとする遣方で、やれ皇室の尊厳を損するとか、国体の秩序を紊乱すとか、抽象的の言辞を並べて大声叱呼し、その実この論文は、皇室の尊厳を高め、神道の本旨を明にするものなることを知らず、何かしら神聖を冒涜せらるゝが如き誤つたる感情の下に、世論を動かし、政府を動かし、しかも敢て刑事上の訴追を受けたることもなきに拘はらず、終に明治二十五年三月四日文科大学教授たる久米邦武氏は非職を命ぜらるるに至ったのである。爰に於て田口鼎軒は更に「神道者諸氏に告ぐ」の一文を草して、世論の誤れるを痛撃したのである。しかも、その文中

余は先づ辯明せざるべからざる一事あり、余は耶蘇数信者にあら
ざること是なり云々国家萬一の場合に於て瘠腕たりとも国家の干
城たるに於て未だ必らずしも神道者諸氏の後にあらざることを期
するものなり云々。

と断らざるべからざるを見て、時代思潮の一班を知るべきである。
久米博士は後に、彼の論文は未だ意に満たざる處あり、猶ほ幾多研究すべき余地ありと語られたのであるが、今にしてこれを見るも立流なる意見であり、この学術上貴重なる論文が何が故に彼れが如き世論を紛起させたかを怪むのである。しかも堂々たる大学教授の地位がこれが爲めに動かさるるといふに至つてはその理由を解するに苦むのである。これを懐へば現代の学界は真に幸福である。





底本:『明治文化全集』[吉野作造編]第15巻 思想篇、日本評論社、pp.24−25
   1929(昭和4)年発行