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Shinto wa Saiten no Kozoku (Synopsis: Shinto is an Outmoded Custom)(神道は祭天の古俗)

by Kume Kunitake(久 米 邦 武)



神道の弊

天地は活世界なり、循環して息まず、常に新陳代謝しつゝ進めり。故に其中に棲息する萬物萬事みな栄枯盛衰をなし、少し活動を失ひたる停滞物は、頓て廃減に帰すること、皆人の眼前に観察する所なり、故に久くして弊れざるものはなし。日本の創世は神道より成り、皇基は是に因りて奠定したり、其主要の節目は、前に述べたる條々に略盡せり、夫も数千年間に漸々と修正改進したる結果なるべく、神武帝の橿原に神人一致の政治を建給ひし時も、多少改革ありたるならん、亦九世を経て、時運環進み、崇神の朝に、神宮皇居を別けられたれば、神物官物も別れ、従ひて斎蔵官倉も別れ、調貢の法も改まり、政治兵刑みな改まらざるを得ざれとも、古来沿習の餘勢あれば、猶祭政一致の制によりて、漸々と変じたるは見易き情実にて、そは歴史上にも概見する所なり。三韓服屬し、應神・仁徳の両盛代を経て、履仲・反正・允恭三朝に移る比には、己に刑罰の変革したるを見る、武内宿禰甘内宿禰兄弟権を争ひたる時、くかたち〔探湯〕をなしたり。允恭帝群卿国造の氏姓 即譜第 詐胃を改正の時も、〔諸氏姓人等沐浴斎戒。各為盟神探場則於和橿丘之辞神戸跡。坐探湯瓮而引諸人令赴曰。得実則全。偽者必害。或埿納金煮沸。攘手探湯。云云詐者愕然之。豫退無進〕とあれば、探湯は神に要して詐偽者を発覚する、鞠訊法なるべし。是当時に盛んに行はれたることと見えて、北史 東夷倭伝 に〔毎訊寃獄。不承引者。以木壓膝或張強弓。以弦鋸其項。或置小石於沸湯中。令所競者探之。或置蛇瓮中令取之。曲者即螫〕とあり、是は西国筋の事を観察のまゝに記したることならん。諸国の国造伴造等支配下には、頗る惨酷の法も行はれたらん、継体帝二十四年に、〔爰以日本人与任那人。頻以兒息。諍訟難決。元無能判。毛野臣楽置誓湯曰。実者不爛。虚者必爛。是以投湯爛死者衆〕とありて、我朝の任那諸国に人心を失ひたるは、其等の暴政に由るものなり。此時代人智漸く開け、既に神道にては治むべからず、因て儒学を講じ、亦仏教も流入せんとす。履中帝の時に、安曇連濱子が仲皇子に徒黨したる互魁なるを以て、事平くの後詔して、〔将傾国家罪当死。然垂大恩。而免死科墨。即日鯨之〕と見え、又允恭の忍阪姫皇后も、〔赦鬭雞国 造死刑。貶其姓謂稲置〕と見ゆ、其年に為皇后定刑部とあれば、己に死刑其他の刑名も生したり、但し鯨は貶等にて、甘内宿禰の紀直に賜ひ、鬭雞国造を稲置に貶する類にして、鯨の刑はなきことなるべし。履中五年に、〔伊弉禰神託祝曰。不堪血臭矣。因以ト之。兆云。悪飼部等鯨之気。故自是後頓絶以不鯨飼部而止之〕とあり、記の安康の條に、〔面鯨老人来。我者山代猪甘也〕とあるを見れば、厮養の諸部は鯨する習法なることを知るべし。支那歴史の記する所によれば、日本の古は文身の俗なるに、今は東国の選民に文身俗を存するまでにて、西国にて却て其俗なきは、かゝる由縁にて、自然に鯨を発したることなるべし、崇神の朝に神人別れてより、履中帝まで七世を経たれば、時運己に進み、神道の弊を生じたるを見る。
人智の開進して、学芸鬱興し、上下の生活烟満足なる時代となれば、祭政一致の故に依頼し、大古を以て神慮を迎へて事を断し、諄辞を以て解除をなして刑罰をなすまでにては、国の治安を保つべからず、此時となりては、舊来これに浸染したる風俗には亦弊習を存して、洗除するに困むことあるは必然の理なり。紀の孝徳帝大化二年三月甲申の詔に、〔有被役邊畔民。事畢還郷之日。忽必得疾。臥死路頭。於是路頭家。乃謂之曰。何故使人死於余路。因留死者友伴。強使祓除。由是兄雖臥死於路其弟不収者多。 其弊一なり復有百姓溺死於河。逢者乃謂之曰。何故於、我使遇溺人因留溺者友伴強使祓除由是兄雖溺死於河其弟不救者衆。 其弊二なり復有被役之民。路頭炊飯。於是路頭之家乃謂之曰。何故任情炊飯余路。強使祓除。 其弊三なり 復有百姓。就他借甑炊飯。其甑觸物面履。於是甑主乃使祓除。 其弊四なり 如是等類。愚俗所染。今悉除断〕とあるは、是今の警察違詿罪に科する贖銭をば、人民相互に科微したるなり。神道の死穢不浄を忌嫌ひ、事に觸れ端に就て祓除を強索する陋習は、千二百年前迄存して、其時旅行の困難思ひやられたり、公役にて己を得ざるの外は、郡郷の往来交通絶えて、猶歳月を経るならば、国の繁盛なる道は頓に塞り果てん。此時に當り仏教儈徒等宣教の方便によりて、郡郷を巡り道路橋梁を修架せしめ、池溝を開き、往来を通し、生産工芸を教へたる功は、歴史に歴々と記載し、文武元明の朝に至り、始めて貨幣を鋳造し、諸国に令して米を行旅に賣らしめ、終に奈良の盛治を見るに至りたり、其大恩は永く忘却すへからす。


祓除は古の政刑
儒学仏教陰陽道の伝播





底本:『明治文化全集』[吉野作造編]第15巻 思想篇、日本評論社、pp.539-540
   1929(昭和4)年発行