JHTI menu banner

Shinto wa Saiten no Kozoku (Synopsis: Shinto is an Outmoded Custom)(神道は祭天の古俗)

by Kume Kunitake(久 米 邦 武)



神は不浄を悪む

神に事へるには清浄を先として、穢悪を忌嫌ふは、神道の大主旨なり、紀一書に、諾尊の冉尊殯殮の所より還り、〔吾前到於不順也凶目汚穢之所。故當滌去吾身之濁穢。則往至筑紫日向小戸橘之木原。而秡除焉。遂将滌身之所汚。云云〕とありて、海神住吉神は生れ、叉天照大神月読尊素戔鳴尊の三貴子は生れ給へり、 記も同じ 素戔鳴尊の大神新嘗に当り、祭殿に放篌し、馬を逆剥して斎服殿に投納れたるは、神道破滅尚武鎭壓の主義と思はる。因て大神は位を遜れて窟戸に入給ふに至れり、神道に觸穢を忌むことの至厳なる此の如し、魏志 東夷傳の倭国 に、〔始死。停喪十余日。当時不食肉喪主哭泣。他人就歌舞 誄のことなるべし 飲酒。己葬。挙家詣水中澡浴。以加練沐〕とあれば、中国のみならず、西国まで一般の風俗皆然り、此風に原つきて、清浄を以て神に仕へる式は定まる、所謂る天清浄。地清浄。内外清浄。六根清浄は、敬神の主要たり、神祇令に、散斎宮の内より〔不得弔喪問病食肉。亦不判刑殺。不決罰罪人。不作音楽不預穢悪之事〕と、義解に〔謂。穢悪者不浄之物。鬼神所悪也〕とあり、三代格に、斎月斎日に弔喪問病判署刑殺文書決罰食宍預穢悪を六條の禁忌と云。邦人の肉食を嫌ふもかゝる習慣より来ることなるべし。後漢書 東夷伝倭魏志も同し にも、〔行来度海。令一人。不櫛沐不食肉不近婦人。名曰持衰〕と見え、格にも、神社の境内附近にて、屠割・狩猟・牧牛馬を禁忌する等を考合すべし、足利時代まで忌のことをすべて觸穢と云、死喪大祭戦事等には朝を輟め、音奏雑訴評定を停め、行刑を停むるを法とす。徳川時代にても、喪には鳴物を停む、俗に御停止と云是なり、叉産穢・血荒・踏合等ありて出仕を忌避るは、皆神道の遺風なり。
諸穢中に於て尤も忌嫌ふは死穢なり。古代に人死すれば、其屋を不浄に穢れたりとて棄たり、紀一書、素戔鳴尊の新羅より杉檜櫲樟柀等の種を日本に植しむる條に、〔柀可以為顕見蒼生、奥津棄戸将臥之具〕とあり奥津の津は助詞なり、奥とは死人の臥したる奥の間にして、棄戸とは柀を以て棺を製L、死人を歛し、其処に遺骸を置て棄去りたるなり、陵墓は家の貧富に應して厚葬の風なれども、殯歛葬埋には専業人ありて執行たることならん、後世に穢多の起りもかゝる風俗より生したることなるべし、又歴代天皇の必す宮殿を遷さるゝも、奥津棄戸に原由したることなるべし。格の弘仁五年六月太政官符に、〔撿天平十年 西暦七百三十八年 五月廿八日格。国司任意。改造館舎。儻有一人病死諱悪不肯居住〕と見ゆれば、其時代までも此風俗は存したり、韓土も同じ風俗なり、紀の皇極天皇元年五月の條に、〔凡百済新羅風俗。有死亡者。雖父母兄弟夫婦姉妹。永不自看。以此観無慈之甚。豈別禽獣〕とあり、その比日本は死を忌嫌ふて親戚皆棄去る風は熄たれども、親しく神社に近つきて事へる家には、此風猶厳重に行はれたり。その證は北島氏文書の貞治四年南朝正平二十年、西暦千三百六十五年 十月、出雲国造貞孝 北島の祖なり 目安に、〔自ら曩祖宮向宿禰人体始。至資孝。四十代。皆止亡父喪礼之儀。打越于神魂社。隔十余里 令相続神火神水之時。国衙案主・税所・神子神人等令参集。奏舞楽。遂次第之神役。令一人相傅神職也。而彼孝宗者。五体不具。親父孝宗死去之時。荷入棺拾遺骨。為觸穢不浄之間、不可奏近付于神体之條。無其隠云云〕とあれば、国造・大宮司・祭主・神主などの家は、親の葬礼をも打止め、国司立会にて、秡除し、神火神水相続の式礼を挙行したる有様は、彼百済新羅に異ならざるを知る。神事に濁船穢を忌嫌ふにつきて、秡除の法は生したり、就ては古来種々の歴史も多く、弊害も亦多かりし、此に其一を挙げん、貞治より少し降り、康暦元年 南朝天授五年、西暦一三七九年 は、伊勢外宮の改造久しく期を過きたる末にて、十二月廿六日、いよいよ遷宮式を挙行せんとするに、禁裏の御衰日なりと、前関白准后二條良基の沙汰にて、叉延引したる時、迎陽記に、父参議東坊城長綱の物語を記して曰、〔前略 不憚御身之慎。被遂尊神之礼者。更不可有其咎。還可有冥感。前賢所為有如此事。中院禅閤正和興福寺供養。己欲出車之所。或者投入生頭於車中見告之、事可被行哉。可被延引之由。申之輩有之。大義不可火憚少。輿福寺供養。依此事延引。天下之口遊不可遁歟。所寄清秡可遂供養之由被甲。干今為美談者也。云云〕とあるにて、神事に穢を忌避け、少しの出来事にて、大儀を延引することなど、数々ありたるを知るべし。神事にあつかるときは、常人さへ此の如し、まして神に仕へるを常職とする人は、死穢を忌嫌ふこと甚巌なるべきに、時世移りて、今日は神職の葬儀を主ることまでなりたるは、神道の本義に於て甚如何なることなり。


神道に人鬼を崇拝せず
祓除は古の政刑





底本:『明治文化全集』[吉野作造編]第15巻 思想篇、日本評論社、pp.536-538
   1929(昭和4)年発行